室内楽コンサートにおける多様性、公平性、包摂度について

一般財団法人ルンデの村林基彦が、2025年6月13日『京都大学コミュニケーションデザインとDE&Iコンソーシアムシンポジウム』ポスターセッションのポスター発表のベースになった思考の流れと実際の発表データと発表の際の質問の返答です。
豊穣な音楽空間をつくるには公平性が必要であり多様な来場者をに来ていただく準備をした結果、包摂について多少なりとも雲が晴れてきた感がしたので発表に至りました。

事前準備

公平性を目指したルール作り

ルールは、先代・鈴木詢が行っていた「ルンデの例会(1981年〜2006年)」の客席で学んだことや、前説五郎氏(演劇集団キャラメルボックス)が「あたりまえ注意事項」と言っていたこと、学術集会運営の補助業務(1998年〜)から現状の取り巻く状況に対応すべくアップデートをしました。

鈴木詢が目指した= 会場、主宰者、聴衆、演奏家が一体となって創り上げる「音楽の場」=を実現を目指していく中で、沢山の課題があるとわかりました。最大で200席程度の空間は、全員が顔見知りとなるなることもなく、初めて来る方もいれば、何十回と来ている方もいる。毎回毎回、参加者の属性(年齢・性別etc)が大きく変わる場所です。1000人規模のホールと比べると1人あたりの空間への影響度は約5倍となり「音楽の場」への個々の影響は来場者ご自身が感じているより大きいものになります。
SNS等で室内楽をはじめとするクラシックコンサートの感想を見聞きしますが、観客の不満は出演者の演奏に対するものより主催や他の観客に対する不満のほうが圧倒的に多いと感じます。
「不公平感がない」空間というのを作るには、ある程度の秩序が必要となりますので、ルンデのルールとして「出演者・音楽事務所」「来場者」にわけて掲げています。対価を払った来場者に対する聴く権利を尊重するために、室内楽のコンサートでは「あたりまえ」とされてきたコトも記載しています。コンサートに行き慣れた方から初めて来る方まで様々の客層に対して不安の解消にもつながると感じています。
とある世界的な演奏家の方から「お客さんの教育がいきとどいているから演奏しやすかったです」と終演後に冗談交じりに話していただいたのがひとつの結果だと感じていますが、「教育」というより「問いかけ」という意識でルールを伝えています。ある一定のルールの下で体験するコンサートがよりよい体験につながっていくと実感していたただければと考えています。
鈴木詢の目指した「音楽の場」はコミュニケーションデザインという面から見ても先駆けていたと考えます、ルールをつくって書いておくことが、室内楽コンサートの従来持つイメージを壊して敷居をさげることにつながればと期待しています。

多様性を念頭においた施設設計と仕組み作り

世の中は多様です。大学時代の生物分類学の講義で「生物多様性」の導入部分を学びました。多様であるから、今この地球上で人類が生活できているというのが事実です。
ホールの「Halle Runde」は(株)デイブレイクフレーバーが運営するホールです。内装はデイブレイクフレーバーの総力をあげて行いました。面積には限りがあり、ホールを最大限につかうために諦めたことも多くあります。そのなかでも「バリアフリー」「だれでもトイレ」この2点は必ず設計時から実現していないと運営ではカバーできない部分であり、音響設計や来場者の居住性よりも優先しておこなっています。
その結果が、舞台から客席までフラットな空間であり、椅子のレイアウトも自由にできる仕組みです。先天的であれ、怪我・疾病による後天的や一時的なものであれ難聴以外の身体の機能の制限があっても自由に来場いただける空間を目指した仕組み作りをしています。

豊穣をもたらす音楽空間の中での包摂

「包摂」という言葉は「自然」という言葉のように言葉自体の概念が広く、捉え方も個々で大きく違う可能性を秘めた言葉だと考えています。
大学時代の造園学の講義で「自然」を「ワイルド(野生)」、「ガーデン(田園)」、「パーク(公園)」という言葉で分類することを学びました。ヒトの手が介入してない自然をワイルド、農耕の結果うまれた自然をガーデン、宗教施設や都市計画のもと作られた自然をパークといった具合です。「自然」という言葉に対するイメージが明瞭になりました。
この分類の思考方法を「包摂」にあてはめて考えられないかということで、「山林、河川」「公園」「ホール」という図を用いて「行動の制限度合い」を想像しやすいよう図示しました。行動の自由度が高まれば身体の危険度も高まることも示唆していると考えます。
「行動の制限」が「ルール」でありそれを明確にすることで包摂度を内外に示して、多様性・公平性を最大限尊重した心理的にも身体的にも安全性の高い音楽空間作りを目指します。

その中で、「全ての人に平等に開かれている場所ではありません」という前提条件を提示する必要性を感じました。

ポスター発表

ポスター画像をクリックするとPDFで表示されます。

質問・ディスカッションの返答にかえて

多様性、公平性の維持ににかかるコスト

包摂度や多様性、公平性についてのルールを予め提示しておくことで、それぞれの対応方法が事前に明確でき、スタッフの役割分担、スケジュールの組み換え等で従来の人員数で対応出来ます。
その場その場での対応となると、属人性の高いサービスになる可能性があり、全スタッフが同じ対応できない可能性があります。これは後の問題の種になり得ます。また、対応が必要な来場者だけでなく他の来場者にも負荷(待ち時間の延長等)が発生し得ます。たとえ1名に対する対応でも事前に準備することがトータルコストを増やさない結果になると考えます。
あえて「多様・包摂・公平」という言葉を提示することで、将来かかるコストの減少(収益増含む)、インシデント(問題発生)の抑制、アクシデント(事故)の防止につながると考えます。
この一連の考え方は公衆衛生にも大きく寄与し、人類をながく苦しませている感染症蔓延の対策にもつながると考えています。

出演者・プログラムの多様性について

例えば、フレデリック・ショパンの『ノクターン 遺作』は多くの場でピアノだけではなく様々な楽器や編成で演奏されています。室内楽・器楽においては原典主義という考え方もありますが、コンサートの場においては全て違う演奏になると考えています。
1人の演奏を聴けば、他の人はどう演奏するのかという楽しみが拡がり、多様性こそクラシック音楽が今日まで楽しまれている理由のひとつであると考えています。
演奏家が「今、聴かせたい音楽を」というプログラムづくりは、所謂定番楽曲だけではなく新しい音楽への出会いの場となります、100回以上のコンサートで重複した楽曲はそれほど多くないという事実からも多様なプログラムを楽しめる場になっていると感じます。

制限の緩和について(包摂度の拡張)

ルンデ主催公演については、大きくルールを変更することはありません。
ホールの管理運営企業である(株)デイブレイクフレーバーとしては、オープン・ザ・ドア コンサート、ベビーカーコンサート等、ルンデ主催公演においてお断りしている来場者を受け入れる企画を行っています。

文化・芸術、エンターテインメントが担うDE&Iについて

主催が劇作家の蓮行さん、基調トークセッションがテレビドラマ制作のプロデューサー村瀬健さんという布陣の中でのシンポジウムだったということもあり、物語や体験から潜在意識下にひとつ種を植える可能性が示唆されました。物語を通した、他人の人生の追体験だったり、演劇的な手法をつかったコミュニケーションの体験が育む可能性は人間関係を豊かにしていくと考えています。
音楽もまた、それを印象づけたり導いたりと間接的にですが影響し続けていると感じました。
ドラマや映画を通した伝播の可能性、小劇場演劇がつくりだす深層探求への挑戦、小説や漫画での特殊環境下の疑似体験、それを補う音楽の存在。「職場」「学校」という社会生活のまわりで、灯されたDE&Iの炎を絶やさぬよう、薪をくべて下支えできるような場にルンデがなっていけばと望みます。

ルンデの成り立ちとホールについて

こちらのサイト・文章を読んでいただければなんとなくわかるかもしれません。

シンポジウム発表を通して

ホールを作って2年半で約100回のコンサートをおこないました。その経験をあえてDE&Iというフィルターを通して見つめる作業をしました。この作業を通して、ルールの一部の表現を変更したところもありますし、ルールの成り立ちがDE&Iやコミュニケーションデザインがベースになっていたと気がつくこともありました。
ルールの再構築からこのシンポジウムの準備にあたって、ルールや考え方、お願いごとを目に触れやすいところに記載しておくことの重要性を再認識しました。
「あたりまえ」になっていくことは大切だけど、「あたりまえ」だからといって伝えなくていいわけじゃない。今後もシンポジウムに参加してDE&Iの指さし確認をしていきたいと思います。

蛇足:村林の個人的な多様性についての考え

多様であるというコトは当たり前でありそこには心地よい混沌(疎)がひろがっているというのが前提です。
あえて言葉にする必要なんてないと考えてた時期もありますが、自分自身の思考特性と今日まで社会生活を営めてきたことを考えると一定の条件下においては多様であることが認められた社会だったからこそであり、それが失われていく可能性があるのなら、言葉にしてでも、条件をひろげ、個々が生きやすい社会になっていけばと考えています。
心地よい混沌のなかから生じた密が必要とする秩序(ルール)を守っている者が損をしない社会(公平な社会)であって欲しいと望みます。
(注釈:疎と密のイメージは、星間分子雲の中から密度の濃いところに星の赤ちゃんが出来る星生成に由来します)

今回のシンポジウムの主催の蓮行さんも多くの条件をクリアしてマイノリティなご自身の考えを伝える立場に立っていると思います。
その同志感というのは、とても強く(出会いが小学生の頃のトランプクラブというのもありますが)これかれもコミュニケーションデザインをベースに共に歩んで行ければと思っています。
極端な場所・条件から、極論に近い発言をしてますが、それが一般的な場所での集合知の一端を担えればと願っています。